-あるいは、なぜ「アマビエ」がキャラクターになったのか異聞
激動の2020年の年の瀬だからこそ、これを書き残しておこう。そもそもこの取り組みはいつどのように始まったのかを。話はまずはそこからだ。
それは2020年4月19日(日)のことだ。毎月1回恒例の神奈川の県立図書館を考える会 第76回定例会がZoomで開催された。2012年12月に始まったこの例会がZoom開催となったのは実は初めてのことだった。つまり、それだけコロナ禍の深刻さが増していたということだろう。
この例会で、コロナ禍において私たち(=神奈川の県立図書館を考える会の参加者)には何ができるか、何をすべきかが話題となった。その場での1つの暫定的な結論が、神奈川の県立図書館を考える会という次元に留めるのではなく、より広い文脈で、より広い世界にこういうアジェンダセッティングをすることだった。
「withコロナ」と言われだした時代において、いまある「図書館」というものを一度、丸括弧をつけて「(仮称)」として、いま一度「リ・デザイン」してはどうか、と。
いまにして思うと奇跡的だが、いまに続くコンセプトや問題意識は、この日の2時間の会議で一気に詰まったのだった。会議終了の後、約30分でFacebookを立ち上げていることが記録からもわかる。実にフットワークがいいといえばいいものだ。
ちなみに、記録を見るとその日の会議前の午前中に私はWikipediaにおける「アマビエ」の記事の画像をいまのものに差し替えたようだ。そのため手元にちょうどいい画像があったので、それをリ・デザイン会議のFacebookグループのカバー写真に設定したものと思われる。記録を残しておくと、こういう秘話を発掘できる好例であろう。
それはともかく、かくして「withコロナ時代の『図書館』(仮称)」リ・デザイン会議は始まった。ほどなくしてコロナを契機としつつも、図書館法施行70年目に、図書館法100周年までの残りの30年での「図書館」(仮称)の「リ・デザイン」を自分たちに課そう、という意思を明確にした「図書館」(仮称)リ・デザイン会議と相成った。その後のことはこのアドベントカレンダーの各回からもうかがえるだろう。
さて、重要な証言を残したので、本論に入ろう。私の主張は、至極シンプルだ。とにもかくにも、「書こう」。
なにを書くのだろうか。
「図書館」(仮称)の設計図を書けばいい。
どう書くのだろうか。
言葉にする苦労をいとわずに真正面から書けばいい。
なぜ書くのだろうか。
30年後に悔いを残さないために書いてはどうだろうか。
だれが書くのだろうか。
いまこれを読んでいるあなたが書いてくれれば、私はうれしい。
いつ書くのだろうか。
いま書こう。いつかに持ち越さず、いま書きだしたほうがきっといい。
私たちはなんのためにまなぶのだろうか。少なくとも私にとっては、まなびを生かすためだ。私はまなんだすべてを社会に生かしたい。だから、私はいまも思念を思考に変え、思考を言葉や文字にする。そうすれば、より広い文脈で、より広い世界に私たちの考えは伝わっていく。
伝わった先では、賛否もあれば無関心もあるだろう。誤解も受ければ曲解されるかもしれない。だが、恐れることはない。言葉を残さないより残したほうがいい。語り残すだけより書き残したほうがいい。なぜなら、私たちはそうやって書き残された言葉や文字を通じて、豊かさや賢さを培えているのだから。
先人たちがそうしてきたように、私たちもいまからさきへ、現在から未来へ自分の言葉を書き残そう。そうやって書き残すことは、だれかの役に立つだろうし、それ以前に自分自身の役に立つ。そう思おう。そして、さあ書こう、あなたの思考をあなたの言葉で。
2020年12月19日
岡本真(アカデミック・リソース・ガイド株式会社(arg))
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