2050年までの30年を考えてみましたが、何がどれくらい変わるのか、なかなか想像もつきません。
今年を振り返ってもたった1年前、こんなにオンライン会議が身近になり、GIGAスクール構想が現実感のある話題になるとは思っていませんでした。
30年前には、インターネットのような技術がこんなに身近なものになるとは思っていませんでした。
そんな中で、図書館(仮)は、「図書」の「館」としてではなく、その時々にある技術を取り入れて、人と情報や知識に「はしご」をかける存在、しくみであってほしいと考えています。
そして、人が得た情報や知識から新しい何かを創り出すときにも「はしご」をかける存在でいてほしいです。
「はしご」は、色々な形があるでしょう。
例えば昔の郷土資料を見たい人にとっては、デジタル化してオープンにオンラインで郷土資料を見られる仕組みかもしれません。
どこにも出かけられない状況の中、遠い世界を見たい人にとっては、外国の写真集、旅行記、もしくは長編ファンタジーが読める仕組みかもしれません。電子書籍でもいいし、映画でもいいし、紙の本でもいいでしょう。
しかし、いつでも自分自身が情報ニーズをちゃんと把握できているとは限りません。
知りたいことがあっても、どんな手段がいいのかわかっていないこともあります。
また、障害や心身の状態で、そのままでは情報をうまく受け取れないこともあるでしょう。
情報や知識を集めておくだけでは、うまくアクセスできないことも多いと思います。
そんな人には、その状況から情報へ「はしご」をかけたいです。
例えば、課題のレポートを書こうとしているけれど、気になるテーマがぼんやりとしかない生徒・学生には、テーマが概観できるような資料を届けることが「はしご」となるかもしれません。
司書(仮)がレファレンスをしながら問題意識を引き出したり、テーマを具体的にするための5W1Hのような思考ツールのワークシートを渡したりすることかもしれません。
仕事で新規事業のリサーチをしたい人けれど、どこから手をつけていいかわからないビジネスマンには、データベースや新しい情報を紹介することかもしれません。
情報には、相談できる人も含まれてもいいでしょう。データベースは使いこなし方を教えることも含まれるかもしれません。
障害や心身の状態で、そのままでは情報をうまく受け取れない人には、なるべくバリアなく、受け取りやすい形にすることが「はしご」になるでしょう。
そのための技術は、どんどん新しくなるでしょう。
自分で読むのがまだ難しい小さい人には読む技術が少しずつ身につくようなプログラムをすることが「はしご」になるでしょう。読み聞かせのように、ものがたりの体験ができることもあるでしょう。
読み聞かせ、読む技術のトレーニングは、年齢に関係なく、必要だと思ったときに受けられてもいいかもしれません。
オンライン上にある情報、新しいテクノロジーを必要とする情報へのアクセスが、経済的事情をはじめ、様々な事情で難しい人がいないようにすることも「はしご」だと思います。
ところで、環境の作る力の大きさを、コロナ禍で集まりにくくなったことで感じました。
コロナ禍で学校が休みになって、もともと同じように学校で活動していたはずの時間の使い方として、勉強時間が増えた子どももいれば、ゲーム時間が増えた子どももいます。
自分1人では頑張れなくても、他の人と一緒なら頑張れることもあるということでしょう。
やってみたらできる、という可能性を感じられなかったら、「読もう」「知ろう」と取り組む意欲さえ持ちにくいです。
みんなが読んでいる、資料や情報が十分ある、みんなが取り組んでいるような、意欲が引き出される場も「はしご」になるでしょう。
物理的に集まれる場が必要なこともあれば、オンライン上などいろいろな技術を生かした場が必要なこともあると思います。
本を読むなど、情報を受け取るだけではなく、受け取ったものから新しいものを創り出す場も必要でしょう。
文房具的なものが用意してあって、個人での所有が難しいような機器が共有で使えてもいいでしょう。
これまで書いてきた「はしご」は、図書館(仮)が用意するだけでなく、利用者が持ち寄ったり、協力しあって作ってもらったりしてもいいでしょう。
オンラインでもオフラインでも、なるべくシームレスに使えるもの、そして社会にある格差を縮めるものであってほしいです。
図書館(仮)がある地域や館の種類によって、要素の濃淡はあるでしょう。
そして、1つの図書館(仮)だけで達成できることでもないので、協力して全体で達成できたらいいなと思います。
そのうちそんな図書館(仮)から「はしご」じゃなくて、「どこでもドア」が生まれるかもしれません。
2020年12月26日
学校司書 千田つばさ
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