私なりの未来への恩送り|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

私は、村の図書館が自宅から徒歩3分の距離にあり、幼少の頃から公共図書館の恩恵を受けて育ってきたように思います。公共図書館を子供の頃から自分の遊び場として使い、何かに悩んだらヒントを求めるように本を乱読しました。

絵本や図鑑や美術全集は、私にとって宝箱のようでしたし、自分の住んでいる村の古写真は、集落のじいさま、ばあさまが語る昔の暮らしを生き生きと写していました。自分が通っていた小学校の図書室は、私にとって自分のペースで世界を知ることができる鏡だったように思います。冬場は、2メートルほどに雪が積もり、陸の孤島となる地域に住んでいる、私の図書館原体験は自分の身近に図書館があったことからでした。

それから社会人になり、数度、学校司書として学校図書館に関わり、深いジレンマを抱えることになりました。小さい学校図書館では、書物しか資料を揃えられないということと、それほどまで学校に必要とされていないことがジレンマの原因でした。図書館がコレクションして整理して保存しうる拠点となるはずなのに、パソコン室しか使われない探究学習と探求学習に使えない開校以来蔵書点検されていない古い蔵書資料の学校図書館。生徒が誰も来ない課題山積みの特別棟隅っこの学校図書館で途方に暮れながら、各地の図書館関係の研修会から自分の立場で現状出来ることのヒントを得に当時駆けずり回ったのを覚えています。

今は、図書館とは違う仕事をしていますが、私はあの時のジレンマが後を引いていて図書館にじがみついているだなぁと思っています。市民活動として、図書館の資料を使った市民の問いの場作りをしてみようと思い、数年前からウィキペディアタウンや読書会を細々地域で開き、小さく活動しています。うまく外側から図書館との市民の関係性を変えられないか模索していました。

新型コロナウイルス感染症の影響で、レファレンスも止まり、地域資料も時間制限で探せなくなった地元の図書館は、私にとって常に暮らしに寄り添う場所ではなくなっていました。リ・デザイン会議に参画したきっかけも「いつでも、どこでも、だれでも図書館を」と謳うわりには、わたしの地元の図書館ってコロナウィルス以前から街から遠い存在だわ。子どもの頃、自分の遊びと学びの場としてお世話になった分、何かしら刺激を与えて恩送りしなきゃなという勝手な謎の(?)使命感と、地域をひっくり返せる企てを考えたかったからだと思います。

リ・デザイン会議で皆さんのお話を聞きつつ思うことは、知的な場というのは、ただ書物がコレクションされている空間と読んだ文字から生まれるのではない。それは知識という情報がただおいてある倉庫に過ぎない。

知がコレクションされ循環する場は、知識を使う人の背中(活動)から生まれるのものだと思いました。図書館という主語を使わず、「図書館」(仮)を語ってみたい。そんな思いで参画しています。私の文章を読んで、会議に参加している方のお顔が気になったら、ぜひお話ししにきてください。リ・デザイン会議での活動を通し、世代を超えて他者の興味を喚起できる活動(アクション)をあなたとともに出来れば嬉しいです。

2021年1月6日

目黒幸恵(雪国の跳ねっ返りフリーライブラリアン)

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