図書館って必要?|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

最近、中村真一郎の『木村蒹葭堂のサロン』(新潮社,2000)という本を読んでいます。
長い本でなかなか読み終わりません。
江戸時代中期大坂の町人の蒹葭堂は知識人の収集家で、彼との親交と膨大なコレクションを求めて全国から著名な文化人が訪れました。
私設の博物館・図書館ですね。
日本の図書館は近代以降に西洋の文化を移設して設立されたイメージが強いですが、前近代の日本にも民間から発生した公共の図書館があったと言えます。
ちなみに蒹葭堂の死後、彼の蔵書コレクションの中から禁書は幕府に没収されてしまいます。

自然に発生したということは、図書館が必要とされているから?
では、私たちの身近な公立図書館はどうでしょう?

近年、平成の合併を経た自治体では、複数図書館を維持しきれず、1館に統合するという動きが加速しています。
本庁職員はいつも言います。図書館は数ある施設の中の1つにすぎない。
限られた利用者のための施設なのに、コストがかかりすぎる。
別の本庁職員者はまた言います。図書館の予算を維持するには、今まで図書館を使ったことのない住民に使ってもらって支持してもらわなければならない。
彼らを呼びこむために次々イベントを開催しなさい。

本庁職員の言葉は設置者の考えで、それは多数派住民の意見を反映しているのでしょう。
つまり、限られた利用者しか必要としない図書館は、住民に必要とされていない施設なのでしょうか?

ずっと私がモヤモヤしていることです。
「公共」とは何か。利用者が多数なら「必要」で、少数なら「不要」なのか。

今、リ・デザイン会議では、30年後の図書館(仮称)を最定置するという検討を行っています。
今の「図書館」をバラバラに解体して分析し一方で新たな図書館的な機能をどんどん加えて膨張する、離散と集合を繰り返しながら見えてくる「図書館(仮称)」を探っています。

30年後には、国や自治体だけでなく、大学や学校、企業、ボランティア、個人など、誰もが様々なネットワークのなかで運営できる公共図書館(仮称)があり、誰もが自由にアクセスできるようになっているのではないでしょうか。
それはとても素敵なことだと思います。

一方で、バラバラに解体した中から「公」でしか守れない機能が浮かび上がってくるなら、それはすべての住民に「必要」なものではないでしょうか。
その部分を守ることも大切なんじゃないかな、とひそかに考えているのです。

2021年1月7日

公立図書館司書 鷲澤淑子

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