図書館以前の原体験から考えてみる |「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

 先日、妹が「実家から面白いものが出てきた」と言って、ニヤニヤしながら小学生の頃の文集を私に差し出した。テーマは「私の宝物」。私の1番の宝物は家族や友達、2番目に大切なのは“本”と書いていて、その時妹は妙に納得した顔をして、「この頃から図書館で働くことに繋がっているんやね」と言ったが、それだけではないと思っている。

 子どもの頃から本を読むことは好きで、家にもたくさん本があった。でも、図書館と言えば、週に2回ほどしか開かない公民館図書室と、いつも鍵のかかっていた学校の図書室しか知らなかった。図書館利用の体験は高校や大学に入ってからで、非常に遅かった。

 その代わり、今思えば、社会教育とか生涯学習と言われていることに、中学生くらいの頃から触れる機会があった。「知る・学ぶ・考える」ということに対して多少貪欲なのと、人々のそういった行動に興味があるのはそのせいかもしれない。もっとも、当時は多少ひねくれていたので、「遊びに来ているだけ!」と言い張っていて、「学び」なんてことはちっとも意識をしていなかったが。でも、次第に、その「学び」によって(そしてその「学び」の多くが自分一人では得られなかったものである)、発見したり解決できたという体験が快感になり、他の人にも経験してほしいという気持ちも大きくなっていった。

 図書館というところで働き始めてしばらくしてから、人々のそういう体験の一助となることができる、それをすることが中の人である司書の仕事なのかなと思うようになった。私自身も、図書館の情報や資料に触れることで新しいことに興味を持ったり、図書館というものを通じて大切な人々と出会ったり、人を通じて「ものがたり」を享受することができた。

 一人でも多くの人に、図書館を使ってそういう体験をしてもらいたいので、そのきっかけやヒントになるものを、図書館の中の人としては多様に用意をしておきたいと考えている。COVID-19のような状況下で今までのように開館できなくても、それはできる方法で用意すべきなのだ。だって主語は、「図書館」ではなく「人々」だから。

 30年後にどうなっているかということは、想像(妄想)してみるが、正直よくわからない。けれど、どうなっていても、人々が、「「図書館」(仮称)という場」、「資料・情報」、「図書館の中の人」の3つの、誰でも利用できる資源を使って、知ったり学んだり考えたり、遊んだりすることを、妨げてはいけないのではないか。―たとえば、リアルな「図書館」という場ではなくても、資料・情報がいかなる形でも、「司書」という人でなくてもーそれを守っていけるように考えることが、リ・デザインなのかなと思う。

2021年1月11日
公共図書館司書 澤谷 晃子

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