図書館は何のためにあるの。という話。|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

 図書館は何のためにあるのか?ということはよく考えます。

 ここ数年(毎年ではないのだけど)、日本図書館協会が主催している「図書館基礎講座in関西」という、どちらかというと初任者向けの講習会で「図書館の基礎」という講座を担当しています。

 「図書館の基礎」ということなので、ランガナタンの5原則あたりのお話をします。受講者の皆さんには何もない空間に本棚を置いて、そこに本を並べる様を想像してもらったうえで、さて、それは図書館と言えるでしょうかという問いかけをします。ランガナタンの5原則をたどると、この空間は図書館になってくれます。よくできてるよなランガナタン。

  で、この講座を組み立てている時に、いつもなんとなーく感じていることがあります。「図書館は○○である」(「知の広場」とか好きな言葉をどうぞ)という話はよく聞くのですが、「図書館は○○のためにある」という話は、とくに公立図書館まわりではあまり聞かない。いや、ちゃんと言うと例えば生涯教育とか、貧困対策とか、聞くには聞くですよ。それはなんとなーく、人によって見方が違っててそれがダイレクトに「図書館がある理由」になってる感じ。僕はどれも「それだけ?」って思っちゃう。

  基礎講座はそのあたりをカバーしています(エヘン!)。丹念に図書館関連の法規や国際的ないろいろを見ていくと、その根っこに国連憲章があることがわかります。2回も世界大戦やらかしたので、絶対3回目はやりません。というやつです。結局ルーツはそこなのねと。

  いろいろあっても70年以上平和にヨロシクやってた日本ですからあまりその辺のことを気にしなくてすんでいたのかもしれません。いまはちょっと気になりますよね。

  大事なのはなんなのだろうって思います。人から抑圧されないようにするために。人を抑圧する人間にならないように。だいたい僕らは善良な人間です。理由もないのに人の頭を踏んづけて生きて行こうとはあまり思わないでしょう。

 けど、人の頭を踏んづける理由は、ある日どこかからやってくるかもしれません。それは真実とは限りません。大統領だって嘘をつく時代です。

  大きなことをいうと、そのために図書館はあるのだと思います。他人を思いやる心を涵養し、困難があればより良い方法を探し出し、大統領の嘘を見抜く知識を味方にする。たぶん、どれも図書館を使えばうまくやれることだと思います。

  「図書館を使う」ということで、いろいろな人権が引き合いに出されます。知る権利とか知る権利とか知る権利とか。けど、

 僕は参政権がそこに大きくあるんじゃないかと思っています。政治参加とそこで行われる議論に備えて図書館を整備するのは無理がない話と思うのです。たとえば地方自治法に議会図書室の整備が書かれているのはそれの現れと思うのです。僕らの代表である議員が図書館を必要とするでしょうという考え方があるのだから、僕らの手元には図書館が整備されててほしいのですよ。

  身近な問題、例えば歩道が狭いという話があったら「歩道を広くするのに不都合があるのか。例えば規制があるのか。それをどうにかするには何か知恵があるのか」とか、そういったところからでもいいので図書館でみんながお話できる場所あればなーと思います。

2021年1月17日

相宗 大督 

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