学校図書館(仮)関係の整理に向けて|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

テーマにしてみたけど「学校図書館(仮)」って難しいな。

ちなみに「(仮)」は、今と切断されているかもしれないけれどもそして実現困難であるかもしれないけれどもあるべき未来でありそれはもはや図書館という呼称が適切ではないかもしれないという含意を持つ、ということで使ってます。

いやそもそも「学校」ってなんなんすかね。

「主体的・対話的で深い学び」が掲げられてて、GIGAスクール構想ってのが進んでるんですよね。主体的っていうのは、生徒児童が主体的なんですよね。っていうか「学び」であって「教え」ではないよね。科学コミュニケーション方面の言葉を使えば、欠如モデルから離れようってことですかね。

でもさ、その主体的・対話的で深い学びを支えるのは基礎知識あるいは教養であり経験とかスキルとかだったりもするんですよね。そこおろそかにするのはダメだと思うんですよっていうのは一応指摘しておくんだけどさ、一定の水準までの知識や経験を身に付けるのが学校ってところだと思うんですよね。「よみかきそろばん」てのもそうですよね。そこを全面的に生徒児童の主体性に委ねるわけにはいかない、とは思うんよね。

ある程度選択的に身に付ければいいものは主体性に委ねればいいし、スキルは素材は何でもいいからってこともできると思う。

たとえば「いつ・なにを・どのように」という部分を、「主体的に学びたいときに」ということにできればいいんじゃないかと思うんですよね。というのを制度として置くなら、いわゆる単位制で、N高とかがその路線ですよね。

あるいは、ということで、「先生はコーチだ」とか「先生はファシリテーターだ」とか言われるようになってきてるんですよね。でもそれ「学校」っぽくないよね。そして「変わった学校」とか「塾とかサッカーチームとか放課後なんとかとかそういうの」が担ってますよね。

主体的には学ぼうとしなかったけれども、これくらいの年齢までにはこのようなことの知識や経験やスキルは身に付けなければ、というのを、主体的ではないけれども何とかする場所、というのが、「学校」なのかなあ。その部分は「教員」が「授業」をする、というスタイルが残る、というか。つまり旧来のイメージの「学校」が、未来の「学校(仮)」のなかに残るのは、そこ。

で、「学校(仮)」の多くの部分は、生徒児童の主体性が中心になり、ということは、その主体性に即して学びが得られる環境が作られなければならなくて、コーチとしてファシリテーターとしての教員もまた「環境」ですよね。

で、それって今の「大学」のイメージに近い。

いやまあそりゃそうで、総合的な学習の時間とか探究的な学習の時間というのの先には、初年度教育/アカデミックスキルズを経由しての「卒論」があるんですよね。

何か興味があったり課題を抱えたりしたときに、それを解決すべく、先行研究の調査とか中立性とか論理的な組み立てとか検証可能な表現(読者との対話ですよね)とかってスキルを、身に付けようぜ、と。そしてそれは民主主義の構成員としてのシティズンシップってやつですよね。で、教育と呼ぶにしても学びと呼ぶにしても、これがその目的なんじゃないかと思うんですよね。

「何か」てのは、ぶっちゃけなんでもいいし、状況によっては選べない事柄ですよね。子供が難病にかかった、なら、医学の知識を獲得しにいくことになるでしょうよ。ってことは、大事なのは汎用的なスキル。

なんだけど、その「何か」というのは、教育課程では「科目」なり「専攻」なりと呼ばれて、その科目内知識のほうが汎用的なスキルよりも大事なように扱われてるよね。

さて、では学校図書館だ。

「休み時間や放課後に図書館を利用すること」が「教育課程」の定義からは含まれるのかどうかはっきりしないのだけど。やっぱり教室での授業が学校のメインって感じはある。

そこで、授業の中での図書館の活用というものは必要なはずなんだけど、学校司書は(TTでなければ)授業ができず、一方で図書館の活用への意識をあまり強く持っていない教員が多くて、なかなか進まない。とすると、子どもたちは限られた時間の中で自分の関心にそって本に手を伸ばすこととなり、そのような子どもたちに向かい合うことが学校図書館の存在意義を高めることになる。また、あくまで授業を中心に考えがちな教員と、子どもたちの関心がそのまま利用実態につながり、それをつぶさに見ている学校図書館担当者の間で意識の違いが生じる。いわば、学校図書館は学校、特に授業に生かすものであるという考えと、学校内にある図書館でありそれは利用者=子どもたちのニーズに寄り添いその興味関心を伸ばし、それを助けるものだという考えの違いでもあり、これは今の著作権改正をめぐる議論でも同じ構図がみられる。あるいは、「場としての学校図書館」みたいなことって、「学校内のオルタナティブな場所としての学校図書館」ていうスタンスでもあるよね。

でもこの「授業中心な教員像」そのものが覆っていくはず、のものではなかろうか、というのが、上のところで考えてきたところなはず。ここに捻じれがあると思うんだ。

たとえば一つの未来として、教育課程のメインである授業の中で当たり前に図書館を使うようになるというものもあるけど、もう一つは自由に図書館でまなぶことそのものが教育課程のメインになっていくんじゃないかっていう見え方もある。そのような場所こそが「学校図書館(仮)」と位置付けられないか、などと思う。子供の主体的な学びって、21世紀型スキルとかあのへんには多少出てくるけど、あんまりがっつりしてなくて、参照するなら生涯学習理論のほうだったりして、それはつまり成人なら主体的に学ぶものを選択するみたいなことがあるわけなんだけど。

で、ここにGIGAスクールってやつがやってくる。

一人一台端末があれば、それ普通に考えれば何に使うかっていうと、ドリルとか学習ログとかは教える側の都合でしかなくて、端末使う側としては、調べものとか記録とかですよね。

それ要するにこれまでは図書館に行ってノートに書いていたのが、ネットで調べてワードかなんかに書くって流れですよね。とするとこれ学校図書館マターだ。大学生にはCiniiなり有料論文データベースなりがあるけど、小学生や中学生には、まだ十分にはないから、今すぐに移行はできないけど、やがてそっちに向かうだろうとは思うよね。児童書出版社によるコンテンツの電子化がどうなるかってところが課題。だから学校図書館はオンラインでってことになるかもですよね。小学校なら絵本は残るだろう。中学は全部オンラインになるかも。公共図書館みたいな古くてデジタル化が進まないような蔵書はほとんどない(はず)なので。ただ学校図書館の電子化、児童書電子図書館みたいなこと考えるなら、読書履歴の扱いと選書機能の有無は、図書館の人が声を上げないとなし崩しに導入されると思うので、みんな考えて声上げてね。

とすると、さっき上で書いたような情報リテラシー的なところって、これまで小学校では国語科と図書館の連携みたいな感じで進んできてるよね。その先でも、「情報」だと、ネットワークが云々なことになってて、ちょっと違う。とすると、すげえ大事なところが、まだ科目になってなくて、教員というよりは学校図書館の人の肩に乗っかってきてるってことだ。

校種を超えて情報リテラシーのカリマネを、学校主導ではなく学校図書館の人たちでやっていく、共有していくことってのが、「学校図書館(仮)」の姿。とすると、もっと大学図書館を参照しないと、だな。

あともう一つ考えておかないといけないのは、より細かな地域の情報拠点としての学校図書館、学校図書館の市民開放で、これから先、自治体の力が弱くなって十分公共図書館が保持できなくなってきたら大事になってくると思うんよね。それはそれで「公共図書館(仮)」がどうなるかを考えねばならず、ということで、公共図書館をベースに考えてみるけど、・既存の(公共)図書館の基本的な役割は図書を集め利用できる場所、ということになるだろう。それが図書館という名前に引きずられたものではあるのかもしれないけれども。

・既存の公共図書館の社会的な役割を考えるなら、「図書館」の「図書」は「情報・知識」に置き換えることになるだろう。

・ここでいったん「物語」を切り離す。素朴に受容・享受することを目的として作られ、そのように受容・享受されるものとしての「物語」と限定する。既存の公共図書館の利用実態として大きなものではあり、この限定にあてはまらない「物語」の利用形態もあることから、実運用としては大きな課題となると思うが。

・既存の公共図書館の「現実」としてはメディアとしての「図書」を扱ってきたことを考えれば、「図書」を扱い続ける施設は必要であり、物理的な「図書」や人/スキルなどは既存の図書館から継承されることになるだろう。そこで「図書」は大量複製物の一つではなく、個物として扱われるはずで、現在でいう文書館や博物館に近づく。

・では「公共的な」「図書館(仮)」が扱う「情報・知識」は、と考えると、それはもうデジタルですよねたぶん。じゃあデジタルってなったら、本とか紙とかモノとか区別しなくていいよね。

・つまり、公文書館は公文書を扱うけど、それはボーンデジタルなものを含め「オリジナル」を扱うところで、それらは公文書を扱うべくして扱われればよいけれども、それらをデジタル化したデータはもはや大量複製物で、それはこれまで図書館が扱っていたものだ。同じように博物館は博物あるいは個物を扱うけれども、それはモノそのものを扱うところで、さまざまなモノをデジタル化したデータは(以下略)。

って話は学校図書館にはなかなか結び付かないので、あとはまたそのうち。

日下九八
(ちょっと前までウィキペディアの編集とかやってた人)
CC BY-SA