西暦2121年からの眼差し―170年後の図書館(仮)|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

「未来は占ってはならない、創るべきものだ。」(『Energy』1967年4月号)

「未来は可能性を含んでいる。未来は一つではない。いろいろのビジョンがあっていい。未来は方法やアイデアやパターンではなく考え方であり思想である。」(『絵で見る日本の未来』1966年) 

 最初の言葉にこだわってみたい。

 唐突ではあるが、未来に向けての言葉から始めたい。真鍋博の言葉である。真鍋は、「若い日本の会」にもかかわり、先鋭的な画家としても、名取洋之助との縁でアニメーションにも所縁のあった人物であるが、星新一、筒井康隆など多くのSF作品をはじめとする表紙画作家としても有名である。その真鍋は、後に日本未来学会創設や1970年の大阪万博のイメージ画作成にもかかわり、数多くの「未来」を想起させる作品を世に送り出してきた。上述の言葉は、そうした作品やインタビュー記事の中での真鍋の言葉の引用である。

 初秋おりしも、真鍋が没して20年、愛媛県立美術館や出身地の新居浜市美術館が、それぞれ『没後20年 真鍋博2020(10月1日(木)~11月29日(日))』、『真鍋博の贈りもの(9月5日(土)~10月18日(日))』を開催した。未来に取組み、描き続け、『2001年の日本』というタイトルの本まで手掛けた真鍋であったが、前世紀の未来の象徴でもあった「21世紀」を見ることなく没した。

 考えてみれば、真鍋の死から20年後に、真鍋が未来についての仕事を手掛けだしたときのことに触れてみたい。なぜなら、最初に紹介した真鍋の言葉と同じことを、時代の文脈の異なる現代(2020年12月11日19時38分現在)、私も共感しているからだ。すでに星新一の作品の表紙やいくつかの印象的な挿絵作家として著名になりつつあった真鍋にとって、「すでにある現在」ではなく、「可能としての未来」に接近する転機となった年がある。1964年である。この年、真鍋は、ニューヨーク世界博日本館に展示される壁画を依頼される。またその作成途中で海外の様々な展示作に学び、興味深いのは、偶然その年に起こった新潟地震により大火災の被害を被った新潟の街を新潟日報の依頼で取材しており、いわば都市機能の崩壊にも触れている。海外の作家に触れることで学んだ来るべき未来や社会進歩、そしてあっけなく天災のもとに崩壊する近代都市のありようを経験したことは、真鍋の未来感が、「のほほんと待っている未来」から「自分で掴み取りたい、実現させたい未来」へと大きく変わった転機の年だったのではないのか。コロナ禍の中であっけなく閉館せざるを得ない図書館や教育機関、デジタルやインターネットの重要性を指摘しながらまったく実現できていないことが露呈したところから出発した2020年、私は、真鍋が感じた1964年に想いを寄せつつ、「図書館(仮)リ・デザイン会議(以下「リ・デザイン会議」と略記)」に参加している。

 リ・デザイン会議では、図書館施行100年となる2050年を構想している。ところで真鍋の「未来感」の転機の年にもどると、すでにそこから半世紀以上が経っている。図書館法施行から15年ほどで真鍋は未来に対してのある「実感(グリッド)」を得たことになるが、2050年、図書館法施行から100年という節目となる。その年まで残り30年余り。日数にして1万千日余りのアドベントカレンダーがすでに始まっている。

 仮にではあるが、この小さな文章が真鍋から始めたのには意味がある。真鍋もそうだが、「かつて語られた未来像」、つまり現代の視点から見た「過去の未来」には、学ぶべきものが多いからだ。「過去の未来」に我々が触れるとき、必ず思うのが、「今はまだできていない、今はもうそれは実現した」という、「現代への眼差し」という批評印象である。「過去の未来」とは、現代を見据えるためにひとまずは非常に重要な示唆を与えることがある。

 21世紀前半の我々が「過去の未来」を参照するところから、「現代の未来」に思いをはせ飛躍することもできる。一方で、「未だ出来ていないことを現代の未来として語る」ことのトリックにも敏感になる。「過去の未来」から「現代」、そして「現代から覗き見る未来」へと、「未来」をめぐる思想の連鎖が続く。こうした連鎖において、私が思うのは、「今後必要とされる図書館のリデザイン」というときに、公共図書館のリデザイン、もっと言えば、「公共」と「図書館」のリデザインをどちらも俎上に載せていく、そうした世界観である。前述の真鍋の言葉の書出しは、1966年にすでに排気ガス公害として問題化していた自動車の在り方について触れている。「車一台の未来を描くことは、その車の流れる未来の道路を考えることであり、その道路の走る都市の姿を創造することであり、そこに住む人々の生活、結局は社会全体を想定することになる。」と。こうした真鍋の言葉に照らせば、図書館のリデザインと未来を志向することは、未来の都市や人々への眼差しを意図したものとなる。未来の世界に思いをはせることで、「現代の課題」の最適解を制限するのではなく、その課題の存立状況を俯瞰するために未来を経由する。「公共とは」、「図書館とは」、どちらも論じられてきたはずの問いかけを、再度、図書館法施行50年という幅で俯瞰してみる。いや、もっと大げさに、現代からさらに50年後の施行120年、100年後の170年、同じような議論をしているかもしれないと、思うこともある。俯瞰し、「自分で掴み取りたい、実現させたい未来」とは、厄介なものである。そう思いながら、小さなアドベントカレンダーのバトンを受け渡したい。そして、来るべき2121年、今から101年後の、「公共」と「図書館」とを、考え続けてみたい。

 あなたも参加してみませんか。

2020年12月12日

中俣保志(香川短期大学)

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