過去・現在を未来へと架橋する|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

 こんにちは。県立長野図書館の森です。2020年4月に、29年間務めた大学図書館界から公共図書館にやってきました。「大学と公共の違いは何ですか?」とよく聞かれます。一番の違いは「ユーザ層」です。大学も地域に開かれるようになりましたが、メインは学生・教職員です。かたや、公共図書館は「乳幼児から高齢者まで、住民すべての自己教育に資する」と、『公立図書館の任務と目標』(※1)で謳われています。圧倒的な違いがここにあります。

 「住民」であり「公共図書館の担い手」でもある私は、JR篠ノ井線に乗って通勤しています。「日本三大車窓」の一つと呼ばれる姨捨(おばすて)駅付近からの眺めを満喫しながら、ある時ふと思いました。「この電車に乗っている人たちは、みんな図書館の(潜在的な)ユーザなんだ」と。それだけではありません。電車から見える一つ一つの灯の下で暮らしている人たちも。いえいえ、それだけではありません。ここからはまったく見えない場所にも、人の暮らしがある限り、ユーザはいるわけです。なんと壮大な任務なのでしょうか…!当たり前のことかもしれませんが、自らが認識した瞬間の驚きは、とても新鮮でした。

 ところで私は「日本三大夜景」で知られる長崎市の生まれ育ちです。私が暮らしていた頃、公共図書館はありませんでした。身近にあったのは学校図書館で、これと思った本は読み尽くしてしまいました。『大どろぼうホッツェンプロッツ』を学校帰りに夢中で読んで、溝に落ちたことは忘れられない思い出です。子ども部屋には兄たちやご近所さんからのお下がりの本、応接間には百科事典や文学全集がありました。日々のおかず代とにらめっこしながら、僅かな月給の中から毎月の本代を捻出したという苦労話を、父が亡くなった後、母から聞きました。いつも身近に本があり、気になる言葉はその場で調べてみるという習慣も身に付きました。でも、一番印象に残っているのは、小学5年生の時に行った「八重洲ブックセンター」です。「岩波少年文庫が全部ここにある!」と感動し、「いつかこの本を全部読みたい!」と胸を躍らせ、「いつでも手に取れる場所にこの本たちがほしい!」と願いました。それが実現したのは十数年後、大学進学とともに上京してからのことです。一方で、母は身近な学びの場として公民館の講座に参加し、紹介された日高六郎著『戦後思想を考える』に大いに啓発されたと言います。この本は母から娘へと伝わり、私自身の思想信条にも大きな影響を及ぼしました。

 つらつら思い出すに、私は「知る」こと「学ぶ」ことにおいて、本から多くの恩恵を受けましたが、必ずしも図書館を介してはいませんでした。そうすると、図書館が独り「すべての住民のために」と頑張る必要があるのかな?という素朴な疑問が出てくるかもしれません。

 2020年、多くの図書館がコロナ禍で休館を余儀なくされました。でもその影響で、「知る」こと「学ぶ」ことが止まってしまった人たちは、どれくらいいたのでしょうか?今のままの図書館は、本当に必要なのでしょうか?このように自らの存在意義を問うた人々は、図書館に限らず、博物館等の社会教育施設にも、学校にも、ほかの多くの職業にも、数多くおられたのではないかと想像します。 

 大学を卒業し、図書館員としてのスタートを切ってからの30年間は、平成の時代と重なっていました。インターネットが普及し爆発的に情報量が増え、「図書館不要論」が沸き上がった時期でした。情報の流通経路がネットワーク上に拡大され、「知る」「学ぶ」営みが、本や一方通行的なマスメディア、従来からの学校教育の枠に収まらなくなりました。学術界では、研究成果の流通手段である電子ジャーナルが商業出版社に独占され、「読みたくても読めない」「読んでほしいのに読んでもらえない」という悪循環が世界中で起こる中、「オープンアクセス」という思想と実践が広がりました。教育界でも、無料で良質な教育コンテンツを配信する試みが盛んに行われました。この間、私は一人の図書館員として「インターネット上に”玉”を増やすこと」、そして「使いやすい環境やスキルアップの機会を作ること」が任務だと考えてきました。

 対象者がある程度均質な大学図書館での経験を、公共や学校の図書館にそのまま移植することは難しいと思います。それでも、「電子化を進めたら、人が減らせますよね?建物はいらなくなるんですよね?」という問いには、「図書館は本を貸すための倉庫ではありません。これまで届かなかったところに届けるための選択肢が増やせるチャンスを生かしたいのです」と訴えたいと思います。「電子情報を読める環境を誰もが持っているわけではありません。新たな情報格差を生み出してしまうのでは?」という問いには、「世の中全体が加速度的に変わってく中、図書館だけが立ち止まって良い理由にはならないのでは?」と問い直したいと思います。そして「一部の人のためにそこまでするのですか?」という疑問には、「環境は、電気や水道と同じように社会全体で整え、全ての人が学びの機会を得られるよう、働きかけましょう」とこたえたいと思います。なぜなら、図書館の存在理由は、個人が図書館とどう付き合うかという問題ではなく、「知りたい」「学びたい」と思ったとき(そう思うことができる、ということも含め)、基本的人権が保障される民主主義社会の約束ごととして、必須の基盤(インフラ)だと考えるからです。そして、約束ごとを作ってきた人々の想いと歴史が、未来に繋ぐべきバトンとして、私たちに託されていると思うからです。

 「図書館」(仮称)リ・デザイン会議は、30年後の2050年を見据え、アクションしていく場です。これからの30年は、これまで以上に急激に変化していくと予測されます。私たち人類は、どこへ進んでいくのでしょうか。そして、人類だけのものではないこの地球は、これからも生命を育み続けることができるのでしょうか。もし「生命」が全て「情報」に置換され、リアルな繋がりがなくなってしまったら、その世界は私には「ディストピア」に思えます。その価値観さえも疑いながら、「図書館は常に開かれています」と言える姿を描きたい。「図書館」を通じて実現したいのはどんな世界なのか、待ったなしの議論を形にしていきたい。そして「過去・現在を未来へと架橋する」役割(※2)を担い続けていきたいと願っています。

 ここには、立場や意見を異にしながらも、とことん話し合える仲間がいます。皆さまもぜひ、一緒に考え、行動してみませんか?

※1 『公立図書館の任務と目標(1989年公表、2004年改訂)
※2 『過去・現在を未来へと架橋する「知のインフラ」を考えていくために

2020年12月23日

県立長野図書館 森いづみ

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