地域社会と自分、そして図書館(仮称)|「図書館」(仮称)リ・デザイン Advent Calendar 2020

締め切りを過ぎてから書き始めるのは悪い癖。30年後の図書館を考えるために、まず30年前の自分を思い出そうと試みる。(思い出すことは困難なので調べる)Googleで検索すると、すぐに28年前に母の書いた文献が見つかった。中学生の僕が公開したホームページの中に母から受け取った原稿を掲載するコーナーを作っていたからだ。もちろんインターネットの図書館「インターネットアーカイブ」にも収録されている。中学3年の僕のコメントが紹介されていたのでまずは引用しよう。

 今の勉強は表面だけっていうか、奥行きがないって感じ・・・・・・流れとか、関連する事とか、調べたりする事がおもしろいのに。年号なんかおぼえて何になるっちゅうに、およそそのあたりっておぼえときゃあ、本当に正確な数字が必要になった時、図書館とかインターネットとかで調べりゃいい。こういう事はこうやって調べる、とか、こういう情報はどこどこに多くあるとか、誰だれがこういう事に詳しいとか、情報入手の方法をいろいろ体験しておく事のほうが、大切やと思うんやけど。いろんな事に応用できるし・・・・もっと範囲をせまくして、本当に大事な事だけ、深く教えてほしいのよね。

 だいたい、千年も千五百年も前の事、数字が一やニ違っただけで、ばつにされて、それが今の生活にどれだけ支障があるのか・・・今いっくら正しく覚えておいても、学校出て忘れて、本当に必要なときにわからんようじゃね。調べる力さえ身に付けときゃあ、単純な事から、うんと奥深い事まで、居ながらにしてわかる。これからはそういう事の方が重要になってくると思うのよ

― 母のたわごと「耕してはいるけれど・・・・・心配!!」の自分の発言より引用

あれ、考えていることが同じじゃないか?! とにかく、僕はいま、全国の図書館の所蔵情報を整理して、それをインターネットから検索できるようにすることを生業にしている。
実際、町にあったのは公民館図書室だったが、それとは別に「図書館」があった。インテルが提供していた、技術資料を無料で郵送してくれる制度。最新の技術情報に無料で平等にアクセスすることができた。たしかCD-ROMに収められたデジタル情報だったが、それはたしかに「本」だった。マイクロソフトは自社の技術情報にアクセスできる「MSDN Library」というサービスを提供していた。A-Zですべてを読んだ。


そんな「電子図書館」にわくわくして過ごした中学生の頃、よく民主主義について考えていた。人口5000人の町では、政治とは「道路を作る」ことだった。大人たちはいつ新しい道路や橋ができるといった話が好きだが、自分たちがどうすべきかという議論はついに見ることはなかった。教科書の話は理想で、地方交付税で維持されるこの町に民主主義は存在しない。だからこそ、インターネットに自由を求めた。そこでは、コミュニティをどうするべきか、どのように協力して新しいものを作るか、議論することができた。


生まれたときから創造的な営み(すなわち暮らし)のほとんどは、もうオンラインだから、地域に自由がないことは、許容しようと考えてきた。わかりきった「嘘」で、うまくまわしているし。そういうものだ。そこに議論(あるいは創造)はない。図書館が目指す民主主義(すなわち物理的な本を通した知識の共有)にはコストがかかるが、地域にそれを負担する余裕がないこともわかる。だから望まない。


これから、30年後の「図書館」(仮称)を考えるにあたって、まず過ちを認めなければならない。結局のところ地域とインターネットは別の世界だと思っていたが違っていた。インターネットの世界もまた、不自由なものであり、地域とつながっていたのだ。中学生の頃感じていた、「僕にとっての」居心地の悪さは日本全体、そしてインターネットにも蔓延した。


僕はソフトウェアエンジニアとして、検索や暗号化、分散技術、それと並列して「図書館」に興味を持った。インターネットがそうであったように、これらは、本質的に自由ではなく、何を伝え、そして伝えないかをコントロールするための技術だと分かったからだ。そして、それは知っている立場によってのみ定義される。だからこそ、僕はテクノロジーのなかにしつこいくらいに明確に自由を定義し続ける。

2021年1月19日

吉本龍司(カーリル・岐阜県中津川市在住)

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